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銀鱗の記憶を刻む番屋で暮らす・・・・・関 一彦さん(留萌市)


関番屋は博物館でも資料館でもない、今もひとが住む鰊番屋だ。
今にも漁場へと向かう漁師達の声が聞こえてきそうな佇まいの番屋で
暮らす関さんに当時の漁の模様などを聞いた。

鰊場の一年は「若い者、若い衆」と呼ばれる漁夫を募ることから始まる。
主に東北六県から出稼ぎにやってくる男たちが稼ぎ手だ。
関家では上網(おかあみ)と下網(しもあみ)の2ケ統で漁を営んでいたため
一網30人、合計60人の若い者を雇い入れていた。

3月から漁が始まり、八十八夜まで鰊漁は続いたという。
船には動力はついていない。男達は漁場へ船を漕いでゆくのだ。
「ヨースコイ、ヨースコイ」と掛ける男達の声を、今も関さんは覚えている。

もしも、もう一度留萌の海で鰊が群来たら・・・・・
「心穏やかではいられないべな」
関さんは静かにほほ笑む。

2009.03.17 留萌市


番屋には鰊漁最盛期の往時を偲ぶ番付表(中央)が今も飾られている。土間からすぐに続く囲炉裏(左)、海に面した窓からは礼受の海が広がっている。(右)

 
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るもいfan通信vol.11「旬の人」で詳しくご紹介しています


鰊建網漁家4代目関さん
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